神河自作 - 考察:メカニズムと選択肢
2020年3月28日 Magic: The Gathering以前の日記へのコメントについてです。
神河自作 - シャーマン その2
https://researchofkamigawa.diarynote.jp/201912282332156219/
これについてはすでに返信はしています。
ただ、改めて読んで思ったのが、呪文を唱えないという「普通はわざわざやりたいことではない」ことにメリットをもたらすことは、ゲームのプレイングに幅を持たせて面白いのではないか、ということです。
逆に、普通やりたいこと「カードを引く」「土地を出す」「呪文を唱える」「クリーチャーで攻撃する」といったことを推奨するようなメカニズムは、普段のゲームと特にプレイングが変わりません。「引いてきたカードをマナカーブ通りに叩きつけるだけ」とも言えます。
当時のコメント返信で書いた、狼男の変身条件もまた「呪文を唱えない」ことでした。このために、あえて呪文を唱えない、という選択肢が生まれます。
また、逆の変身条件「プレイヤー1人が呪文を2つ以上唱える」も、中々やらないことです。このために、軽くて弱めの呪文でも唱える、という選択肢が生まれます。
このように考えると、普段は敢えて選ばないようなメリットの低い選択肢にメリットを与えることはそこまで悪くないように思います。
もちろん、「並べて殴る」素直な戦略を推奨することが悪いわけではありません。それ以外の戦略も作ろう、ということです。
余談
極端な事を言えば、普通に呪文を唱えることであっても同様です。マナや手札を消費しています。マナでも手札でも、支払うこと自体が「やりたいこと」ではありません。それに見合った「効果」があるから支払うのです。「やりたいことではない」誘発条件も、ある意味「特殊なコストを支払っている」とも言えます。
神河自作 - シャーマン その2
https://researchofkamigawa.diarynote.jp/201912282332156219/
以前に書かれていた、モンクの「呪文を唱えない」テーマ周辺にそれぞれシナジーがあって良いと思います。
・スピリットの起動型能力→唱えずに浮いたマナで能力を使う
・忍術→唱えるわけではない
・知恵カード→唱えずに手札を貯める
注意したほうがいいように思うのは、本来、呪文を唱えないことはプレイヤーがやりたいことではないということです。やり過ぎると(オデッセイで手札を捨てることを推奨したように)プレイヤーにやりたくないことを推奨してしまうことになりかねません。量的・強さ的に推しすぎないよう、バランスに気をつける必要があると思います。
これについてはすでに返信はしています。
ただ、改めて読んで思ったのが、呪文を唱えないという「普通はわざわざやりたいことではない」ことにメリットをもたらすことは、ゲームのプレイングに幅を持たせて面白いのではないか、ということです。
逆に、普通やりたいこと「カードを引く」「土地を出す」「呪文を唱える」「クリーチャーで攻撃する」といったことを推奨するようなメカニズムは、普段のゲームと特にプレイングが変わりません。「引いてきたカードをマナカーブ通りに叩きつけるだけ」とも言えます。
当時のコメント返信で書いた、狼男の変身条件もまた「呪文を唱えない」ことでした。このために、あえて呪文を唱えない、という選択肢が生まれます。
また、逆の変身条件「プレイヤー1人が呪文を2つ以上唱える」も、中々やらないことです。このために、軽くて弱めの呪文でも唱える、という選択肢が生まれます。
このように考えると、普段は敢えて選ばないようなメリットの低い選択肢にメリットを与えることはそこまで悪くないように思います。
もちろん、「並べて殴る」素直な戦略を推奨することが悪いわけではありません。それ以外の戦略も作ろう、ということです。
余談
極端な事を言えば、普通に呪文を唱えることであっても同様です。マナや手札を消費しています。マナでも手札でも、支払うこと自体が「やりたいこと」ではありません。それに見合った「効果」があるから支払うのです。「やりたいことではない」誘発条件も、ある意味「特殊なコストを支払っている」とも言えます。
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